むひょーお


by end-and-end

<   2008年 08月 ( 1 )   > この月の画像一覧

スカイ・クロラ感想文

自分のことを少しでもオタクと思う人は当然ポニョよりスカイクロラ。というわけで観てまいりましたスカイクロラ。というわけでガチで感想文です。

まずは声優陣。今回は日本テレビが製作に関わっているために発生する興行的要請があると思われ、押井守にしては珍しく主要スタッフ陣が本業じゃない人々。これがこの作品の足を引っ張っている。主演たる菊地凛子と加瀬亮が酷いために、大事なやり取りでカタルシスが全く感じられない。主人公達=永遠の子供。という設定があるからあえてのキャスティングなのかもしれませんがそれにしても酷い。
一方、アニメオタク栗山千明は普通にまともな演技。驚いたのは谷原章介。しっかりこなせていてびっくり。この作品においてごく少数の大人の主要キャラ、笹倉にはしっかりプロの声優の中でも超大物な榊原良子(ハマーン・カーン)。やっぱり上手い。


映像面はセルの温かみ溢れるポニョに対してこちらはバリバリのCG作品。この作品の肝である空中戦はフルCGですがなんやらエースコンバットのような、言ってしまえばTVゲームのような質感(実際にエースコンバットの製造元のバンダイナムコが協力している模様)。ただこのTVゲームのような映像が「見せ物としての戦争」「擬似的に行われる殺し合い」と言うこの作品の世界観を上手く表現していると思う。が、やはり高揚感という面では劣ってしまう。



で、肝心な中身ですがまず一言「嘘をつくな押井守」、全然娯楽作品じゃないじゃんか。何よりも敷居が高すぎるだろうが。こっちは一応「永遠の子供=キルドレ」「見せ物としての戦争」というキーワードだけは抑えてたんで、普通に理解できましたが(それでも油断なしで頭を使った)、予備知識無しだと相当大変だろう。

内容は完全にいつもの押井守、つまり「現実と虚構の狭間」が大きな要素を占めている。この監督はいつもこのテーマを描いて来た。「うる星やつら2 ビューティフルドリーマー」では「永遠に繰り返される学園祭前夜」で、「機動警察パトレイバー」では「都市」とか「戦争」で、「攻殻機動隊」では「高度にネットワーク化された情報の海」で、それぞれ「現実と虚構の狭間」を描いてきた。今回もこのテーマは不変です。

で、ここからネタバレですが、今回は「永遠の子供、キルドレ」によってこのテーマがなぞられる。キルドレは大人になることは無く、「見せ物の戦争」で消費される「製品」である。記憶を与えられ、戦死すれば違う記憶を与えられ「再生産」される。キルドレはどこから来たのか分からない記憶を抱き、世界の平和を保つ「擬似的な戦争」を戦うという「現実と虚構の狭間」を永遠に繰り返す存在なのです。

主人公の函南はこの「輪廻」に絶望し、「終わり」を求める草薙を開放する役割を果たしている。函南はラスト、草薙に「何かが変わるまで生きろ」と言い自らは「同じ道を歩いても違う足跡、違う景色を生きている」ことを肯定して、「何かを変えるために」戦い戦死する。そして草薙は「何かを変えられる存在」を待ちながら、まるで「星野哲郎を待ち続けるメーテル」のように生き続ける。
これは函南=押井監督、草薙=観客と置き換えることで、
「現実と虚構の違いすら認識できない、ルーチンワークの繰り返しである日常を否定せず、何かがが変わる日までそれを自分から捨てるな」(簡単に言えば生きろってことね)
という監督のメッセージを表している。こういう外部への積極的メッセージの存在が、今作を監督が「娯楽作品」と呼ぶ原因でしょう。


しかし、この作品には「娯楽」に重要なカタルシスが決定的に足りない。確かに鑑賞後に上官を残すが、基本的にメッセージも極めて淡々と述べられる(しかも相変わらず敷居が高い)ために、観客に何処まで届くかが疑問。宮崎駿の作品が常に圧倒的カタルシスを武器に観客の心を掴むのと比べて、カタルシスが足りないために観客の心を一部の信者(僕を含む)以外のものは掴めない押井守。今までに無かった外部への積極的メッセージの存在が、逆に押井守の「娯楽としての映画監督」の限界を表しているのが皮肉な作品です。


と難しい言葉を並べてみましたが、僕はこの映画好きですよ。でも絢香の主題歌はうざかった。
[PR]
by end-and-end | 2008-08-07 00:54 | 映画